哲学オタク・秀一郎の人生相談室

ナニワの哲学オタクが、哲学を生かして、あなたのお悩みに回答します!

クライアントからの愚痴電話にうんざり……

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Q4、それって‥‥私がしないといけないんでしょうか?

 

フリーランスで仕事をしています(未婚・女です)。

クライアントの某社長(70代前半の男性)から仕事外のことで頻繁に電話がかかってきます。
内容は人間関係のことでの愚痴がほとんど。
正直、鬱陶しいですが、お仕事をいただいていることと、社長とはいえ、従業員が1人だけの零細企業なので、愚痴を言う相手もいないのだろうという思いから、毎回適当に相槌を打って聞いています。
先日の電話では体調を崩したということでした。
病院に行ったところ、「帯状疱疹」と診断され、薬を処方されたものの、昨夜遅くに痛み出したとのこと。
救急車を呼ぼうかと思ったけれど、同じマンションの住人に迷惑がかかると思い、従業員に電話して、「最寄りの救急病院の場所を調べて欲しい」と頼んだところ、「こんな時間に電話してきて非常識だ」と言って、調べてくれなかったそうです。
私に電話をしてきたのは翌日のお昼頃。
「痛みはおさまったものの、買い物にも出られないから食料が家の中に何もない。従業員は薄情だ。こんな仕打ちを受けるとは……」
と、延々と愚痴を聞かされました。
それを聞いているうちに、(何かしないと、私のことも後で色々な人に悪く言うのではないか)と不安になってきました。
それで、電話を切った後、宅配サービスで食料品や飲料を社長宅に届ける手配をしました。
が、正直なところ、私がそこまでする必要があるのだろうか…とモヤモヤしています。
 
社長は離婚していて、現在は一人暮らしです。
普段は仕事で全国を回っているせいか、近所に頼れる知り合いもいないようです。
数年前に病気で入院した時には、私に毎日電話をかけてきて、「着替えがない」「心細い」などと言うので、仕方なく病院に通って、洗濯物を洗って届けたりしました。
年齢的なこともあるので病気の時に冷淡な態度をとってはいけないと思うものの、社長のことは個人的にはあまり好きではありません。
すぐ感情的になり、機嫌が悪いと怒鳴り散らし、仕事で無理ばかり言う反面、嫌なことがあったり気弱になったりすると落ち込んだ声で電話をしてくる……仕事をいただいてなければ、遠ざかりたいタイプの人です。
 
秀一郎さん、私は今後、どのようなスタンスでこの社長に対応すればいいでしょうか?
健康を害している様子ですので、この先もまた「具合が悪い」「入院した」などと連絡してくることが予想されます。
身内でも恋人でもなく、好きでもない人に、私はどれくらいのことをしなければいけないのでしょうか。
教えていただけたらと思います。
 
(らんらん   フリーランサー・48歳)
 
A:不協和音を響かせながら生きるのもナニワのおっちゃんの生きる知恵
ボチボチいきましょか
    
 
とかく人間関係は難しい。
と云うよりも厄介なシロモノでそれから逃れて生活出来ません。
人間は関係を結び生きていくことを本性としています。
これを関係の絶対性と言います。
実存主義哲学者であるキルケゴールらがうちたてた概念です。

それに対して人間は、個ごとに意思と知恵をもち自我を実現しようとします。
その実現の仕方がまちまちで相手との齟齬(食い違い)を生みます。
これを思想の相対性と言います。
つまり人間存在は、関係の絶対性に縛られ、思想の相対性を主張、実現しようとするのです。
厄介といえば厄介で、これが人が持つ最大のストレス源になるわけです。
だから人はどこかで折り合いをつけて自分を納得させなければなりません。
それが出来ず鬱になる人も、また最悪の場合自死に至る人も出てきます。

さて納得の仕方に模範解答はないと思います。
どんな解答でも、悩む本人がこの病みから少しでも解放されるのならそれを善しとしましょう。

さて、この場合です。
社長たる人物、問題対処能力にはなはだ欠け、自己実現が稚拙と言わざるをえません。
それが彼の人生、彼そのものです。
歳も歳だし、彼に改善?を求めても無理です。
ここはらんらんさんが気持ちを大きく構えて、善をできる範囲で実行すれは良いと思います。
それも、軽く明るく爽やかに。
これが一番。

苛立つ気持ちをいだきながら善を実行する、これもまた人生です。
それで周りのみんなが少しでも幸せになるのなら結構なことです。

思想の相対性に捉われることなく、不調和和音を響かせながら生きるのも、大阪人のボチボチ人生の知恵。
春風のような爽やかさをらんらんさんの最高の生きる武器として活用し、明るく前進していきましょう。
一歩前進、二本後退。
そしてまた一歩。
これで良いのです。
 

今のあなたを作り出したのは、置かれた環境? それとも……

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Q3、ぼくは彼女に何かできるでしょうか?


秀一郎さん、こんにちは。
今日はぜひ聞いて欲しいことがあります。

11月に仕事で東京出張があり、その夜、歌舞伎町に飲みに行きました。
元タレントのYが歌舞伎町のバーで働いていると聞き、興味本位で店をのぞいてみました。
Yはラフな服装でしたが、さすが元タレントだけあって、スタイル抜群の美貌はひときわ目立っていました。
日曜日だったこともあり、客は少なく、Yはぼくにほぼつきっきりで接客してくれ、LINEも交換しました。
意気投合して、シャンパンを開け、店が閉まる朝7時まで飲み続け、そのままYと2人で朝ラーメンを食べに行き、めちゃ楽しい一夜となりました。

翌日仕事を終え、名古屋に帰ろうかと思っていたらYからLINEが入り、『今日もお店に来て』とお誘い。
翌日は仕事でしたが、明日イチの新幹線で帰ることにして、2日連続で歌舞伎町へ。
Yのバーで2晩で20万円使いました。

名古屋に帰ってからも時々YからLINEが来て、営業トークだけでなく、個人的なこともやり取りするように。
そして、会ってから10日ほど経ったある日、Yから電話がかかってきたのです。
『今日は大事な話をしたいんだけど』
『何?』
『あのね、私の彼氏になってくれない?』
この時点で、正直ぼくはYの言葉を疑心暗鬼な気持ちで聞いていました。
Yがその先に何かを要求してくるだろうと思ったからです。
『いや、無理だって。俺、金持ちでもないし、歳も離れてるし、名古屋住まいだし、一般人だし』
(ちなみに、余談ですが、ぼくは自営業という仕事柄、ファッションや髪型にはちょっとうるさく、体型も細身なせいか、年齢よりかなり若く見られます。
Yとはひとまわりほど歳が違いますが、Yとぼくが写った画像を女友達に見せたら、『お似合いだ』と言われました。
同伴のキャバ嬢とオヤジ、みたいな図には見えないと自負しています)
と、Yとは付き合えないと説得しました。
しかしYは退かず、


『そんなこと関係ないの。私はまーくんのことが大好きなんだから。付き合いたいの』


の一点張り。
『そこまで言ってくれるなら…付き合おうか』
と、ぼくも警戒し過ぎたかな、と反省しながらうれしくなりました。


『それでね、彼氏のまーくんにお願いぎあるんだけど。友達が借金で困ってるの。

助けてあげたいから30万円貸してくれない?』

……なんだよそれ……やっぱりそうか…
と、ぼくは失望し、
『あのね、Yちゃん、借金頼むならもっと上手くやりなよ。さすがにこれじゃあ無理あるって。悪いけど、お金は貸せないよ』
『……そうなんだ。じゃあ仕方ないね』
そう言ってYはあっさり電話を切りました。

まあ、よくある話なわけですが……
それ以降、時々、


(あの時30万貸していたら、付き合うことになっていたのだろうか)


と考えてしまいます。
Yは両親を亡くしてから生活が荒れて、芸能界から引退することになってしまいました。借金もかなりあるようです。
報道では、Yの周りには力になってくれる大人がいないらしく、Yを利用しようとするハイエナみたいな奴ばかり集まってきている状況のようです。
AVに出演したり、風俗店に勤務していたこともあったそうです。
Yを更生させ、普通に慎ましく暮らす幸せを教えてあげたいという気持ちも、ぼくの中に最近芽生えてきました。
お店で2回会っているだけですから、Yに対してまだ恋愛感情というものは湧いていません。
しかし、Yの境遇を考えると、ぼくに何か出来るのかもしれないと、ふと思ってしまうのです。
秀一郎さん、ぼくはYに対して、何かできるのでしょうか?
それとも、元芸能人のYには、ぼくのような一般人は関わらない方がいいのでしょうか?
教えてください。
よろしくお願いします。
(まーくん  自営業・40歳)

A:いつからでも

自分の本質を作り変えていくことができる!

まーくんさん、こんにちは。

 
元タレントのY、芸能界を引退してからも何かとお騒がせな話題を振りまいている存在ですね。
そんな彼女と二夜に渡って飲んで遊んで、アフターでふたり一緒にラーメンまで食べたのですから、それはそれは楽しかったことでしょう。
そして後日、魂胆があったにせよ、電話で告られる(さらには長々と口説かれる)という、実に男冥利に尽きる経験ができたではありませんか。
Yのこれまでのスキャンダルや芸能界を離れた理由は、あまりにも有名ですから、通常の社会人なら、この経験を持って「夢の遊び完結!」として終了しておき、当分は飲み会のネタとして使って十分モトが取れるでしょう。
ということで、まーくんさん、さようなら。
 
……と終わってしまっては、人生相談になりませんので、話を続けます。
 
まーくんさんはYのことが気がかりとなっているようですね。
芸能界引退後も次々と問題行動を起こし、典型的な女の転落コースを歩んでいるかのようなY。
生身のYと過ごして、情が移り、彼女のことを心配する気持ち……まーくんさんの優しさがうかがえます。
そして、まーくんさんは、Yの現在の辛い状況は、周囲の環境にその原因があると考えておられるようですね。
確かに、10代の頃から芸能界に身を置いてきたYは、一般人とは異なる感覚があるかもしれませんね。
また、ご両親が他界されているとのことで、親身になってくれる存在も身近にいないことも考えられます。
今のYを作り出したのは、置かれた環境のせい……そう考えてしまうのも無理ありません。
 
フランスの哲学者・サルトルは、「実存は本質に先立つ」として、実存主義を提唱しました。
人工物、例えばお茶碗は、「ご飯を盛り付ける食器」という目的があり、ご飯をよそいやすく、手に持ちやすい形という機能を持っています。
これがお茶碗の本質です。
そして実際のお茶碗(実存)はそれを満たすように作り出されたものです。
 
しかし、人間の場合は人工物とは違って、「本質は後から決まる」サルトルは主張しました。
生まれながらに本質が決定されているわけではなく、その人の考え方や行動によって、本質が作られていくというのです実存主義
 
Yはまもなく三十路に突入する年齢ですから、これまでの間に、周りの環境や人間関係から脱却して、自らの境遇を変えることは充分可能だったはずです。
実存主義をベースにして考えると、厳しい見方かもしれませんが、彼女の本質は自分自身で作ってきたものと言えるでしょう。
と同時に、彼女さえその気になれば、この先、自分自身の本質を新しく作り変えることもできるということになります。
 
そこを踏まえた上で、まーくんさんの出番です。
恋愛と言う武器を行使出来れば、貴方も相手も変われる。
まーくんさんが深い愛を持ってYに寄り添い、Yが本質を作り変える手助けをするのです。
もちろん、それ相応の責任が伴います。
まーくんさんの覚悟が問われます。
絶対に途中でギブアップしてはいけません。
Yをより深い奈落の世界へ突き落とす行為になります。
人を変える、更生させるとは至難であることを胸に刻み、中途半端な気持ちなら、彼女には関わらないでおくことです。
しかし、彼女の本質を変えることができた暁には、まーくんさんの本質も数段高く変化していることでしょう。
 
 
ポイント:サルトル 実存主義

 

恋愛は時とともに心の振幅が小さくなり、やがて……

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Q2、友人からのカミングアウト

「お前が好きだ!」と告白されて……

 

秀一郎さん、初めまして。


3年前に知り合った3歳年上のKとぼくは、気が合う友達として、よく一緒に遊んでいます。
カラオケやゲーセンに行ったり、車で海まで行ったり、飲みに行くこともあります。

一年程前、Kは、『自分はゲイだ』とカミングアウトしました。
そして、
『お前のことが好きだ。恋愛対象として』と告白されました。
ぼくはストレートで、全くその気はないので、正直にKにそう伝えました。
その日はそのままKと別れて帰宅しました。
そして次に会った時から再びまた、何事もなかったように普通の友人として一緒に遊ぶようになりました。
が、最近になってKに再三、一緒に住まないかと持ちかけられ、その度ぼくは返事を濁しています。
Kは、

*恋人として一緒に暮らすのではなく、単なるルームシェアである。


*とりあえず一緒住んでみて、嫌だったらすぐ引っ越してもかまわない。

と言っています。

ぼくの住んでるところは、家賃の高い地域なので、ルームシェアは魅力です。
そして何より、ぼくは友人として、Kのことがとても好きです。
知性的で性格もいいKとは、ずっと付き合っていきたいと思っています。
もちろん友達として。

でもKは、ぼくとの関係を一歩進めたいと思っていることは明らかです。
ぼくと一緒の時のKのウキウキした様子や笑顔を見ると、このままKに気を持たせてはいけないという気持ちと、このうれしそうな笑顔を奪ってはいけないという気持ちと、両方が湧いてきます。
Kの気持ちには応えられないことははっきりしています。
それをどのように伝えたらいいでしょうか。
秀一郎さん、教えてください。
よろしくお願いします。

レイ(26歳・会社員)

 

A:欲情は必ず冷める。
しかし、熟成した愛情は永続する。

うーん、
難問ですね。
このような難問にぶつかった時は、ちょっと視点を変えてみるのはどうでしょう。
レイさんはKを友人として大事にしたい、友人として好き。
一方Kは恋愛の対象としてレイさんを想っている。
ごく常識的に考えると、
あなたがた2人は別れるしかありません。

しかしちょっと待った!
ここで一旦立ち止まって考えてみましょう。


レイさんの周りの夫婦やカップルを見渡してみてください。
恋愛は時とともに心の振幅が小さくなり、いずれ落ち着いた愛にかわります。
燃えた情念でも必ず冷める時がやってきます。
そして、穏やかな時を共有するカップルへと変わっていきます。
もちろん、別れを選択するカップルもいます。

欲情的なKの愛情も、時間の経過とともに、沈着した愛に変容していくのです。
すなわち、「時間をかけて欲を愛に変える」。
面白い試みではありませんか。

つまり、Kの欲情を改変し、レイさんがKに抱く友情と近い「愛情」になるまで熟成させるのです。
肉もワインもそうですが、熟成には時間がかかります。
しかしその分、熟成期間を経た愛は、落ち着きと妙味がプラスされ、ふたりにとって得がたい絆となることでしょう。

私の経験から、

欲情は必ず冷める。
しかし、熟成した愛情は永続する。

この人間の心模様は不変だと思います。
そこにかけてみてはどうでしょう。

そうすればレイさんの友情も違った愛に変化し、
またあなたがたふたりだけの新しい愛の世界を構築できるかもしれません。

情念の昂ぶりは一時ですが、愛は不滅です!
これにかけてあなたがた二人の新生活に期待します。

 

 

ぼくが人生相談をしようと思った理由(3)

考え方をいつもとほんの少し
変えてみることで、
全く違うものが見えてくるんやで!
 

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学校では日々、生徒たちがいろいろな相談を持ちかけてきます。
 
ある生徒のひと言で、哲学によって、先入観を排した思考の習慣が付いたことを認識したぼく。
それからは意識的に、日々の思考や言動に、先入観や予断がないか、自己検証するようになりました。
すると次第に、フラットな思考を心がけているぼく自身にも、そして生徒たちにも、「考え方のクセ」というものがあることに気づいたのです。
「考え方のクセ」は、誰もが持つ、これまでの経験や環境によって作られるもので、悪いものではありません。
 
むしろ、その人の個性や魅力を形成する核となるものなので、大切にしてほしいと思います。
 
ただ、悩みや迷いが生じている時は、この「考え方のクセ」によって、袋小路に入ったように、同じところをぐるぐると回り続ける状態になりがちです。
「考え方のクセ」は、なかなか他人とは比較しにくく、自分がどのようなクセを持っているのか認識しにくいものです。
ですから、客観的な第三者の視点で、
 
考え方をいつもとほんの少し変えてみることで、
全く違うものが見えてくるんやで!
 
とアドバイスされることで、その袋小路から抜け出せたりするわけです。
 
学校では、毎日教室で顔を合わせる生徒たちが相手でしたから、難しい話は抜きにして、体当たりで相談に乗ってきました。
教職を退いた現在も、教え子たちから時々相談を持ちかけられることがあります。
彼女たちへの回答を考えるプロセスに、哲学的思考が生きていることは言うまでもありません。
 
近年、哲学で用いられる思考法が経営判断に役立つと言うことから、哲学熱が再燃。哲学書を読むビジネスマンが急増しているそうです。
理由はどうあれ、哲学が注目されるのは喜ばしいことです。
「難しい」「敷居が高い」と敬遠される方も多い学問分野ですが、このブログでは、哲学を使ってあなたのお悩みに回答して生きたいと思います。
難しい用語はわかりやすく解説しますから、予備知識はいりません。
堅苦しく考えず、気楽に読んでいただけたら幸いです。
 
これからどうぞよろしくお願いいたします!
 
お悩みを募集しています!
あなたのお悩みを、コメント欄にご記入ください。
(いただいたお悩みは、記事として公開させていただきます。公開をご希望されない方は、その旨をお書き添えくださいませ)
 
 

ぼくが人生相談をしようと思った理由(2)

投獄を覚悟した大学時代
生徒と向き合った教員時代
いつも哲学が一緒にいてくれた

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そしてぼくは大学生になり、学生運動にのめりこんでいきました。
当時は、マルクス哲学の全盛期で、マルクス社会主義革命思想に影響を受けた日本中の学生が、社会改革を目指して活動に明け暮れていたのです。
学生運動は、逮捕され、刑務所に行くことも覚悟していなければなりません。
 
自分の価値観をしっかりと構築しないことには、投獄されるリスクを冒してまで活動することはできません。
 
ぼくたちは仲間の家に集まって、哲学書の読み合わせ会をすることがしばしばでした。
大学院生の先輩がレクチャーしてくれることもありました。
哲学書を懸命に解釈することで、自分を支える精神的指針を作り出そうと、皆必死だったのを覚えています。
また同時に、社会改革以外の、「死とは何か」「時間とは何か」という人間の永遠のテーマともいうべき事柄へも興味が向いていきました。
 
余談ですが、ぼくの大学時代、実存主義哲学で一世を風靡したフランスの哲学者・サルトルが来日。
サルトルはスター的存在だったので、日本中が熱狂し、大変な騒ぎでした。
現在のハリウッドスターの来日よりも大きな話題でした。
哲学者にファンが群がる時代だったんですよ。
 
大学を卒業して、女子校の社会科教師になってからも、東京の哲学の講座に毎週末新幹線で通ったり、関東在住の哲学の先生のお宅を訪ねたり、地元の大学の夜間部の授業を聴講したりと、哲学の勉強を続けてきました。
 
職場である女子校では、日々生徒たちの様々な問題に直面します。
いつもその時その時、夢中で体当たりで生徒たちと向き合ってきました。
教師になって十数年経った頃、ある生徒に
「秀一郎先生は、他の先生と違うなあ」
と言われました。
「何が違うんや?」
「秀一郎先生だけは、うちのこと、先入観で判断せんと、そのままを見てくれてる」
その言葉はとてもうれしかったのと同時に、ぼくにある気づきをくれました。
ぼくは何事も、世間の噂とか評判などを排除して、まっさらな状態で受け入れるように努力しています。
でもそれは、ぼくの性格がいいからとか、純粋だからとかいうことではなく、長年哲学と親しみ、哲学から思考の手法を学んだからにほかなりません。
 
哲学では、思考のプロセスにおいて、先入観とか思い込みなどで余計な情報を持ち込むことは厳禁です。
情報を持ち込むことによって、思考の結果が変わってしまうからです。
人類の普遍的な真理を探究する学問である哲学において、思考結果を歪める危険性のある「余計な情報」は排除しなければなりません。
高校時代のぼくが疑問を抱いた「神が万物を創った」という前提もそれに当たります。
前提ありきの思考で導き出された結果では、真理に到達することはできないでしょう。
 
長くなりました。続きはまた次回に。
 
 
 

ぼくが人生相談をしようと思った理由(1)

キリストからキルケゴールに!

ぼくの高校時代

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はじめまして、秀一郎です。

順序が前後した形になりましたが、自己紹介をさせてください。
 
ぼくは大阪生まれの大阪育ち。
コテコテのナニワのおっちゃんです。
そんなナニワのおっちゃんにも、純朴な少年時代がありました。
少年・秀一郎が通っていたのはキリスト教系の男子高校。
朝礼の時間には、牧師さんによる聖書のお話があって、授業では「宗教」という科目もありました。
キリスト教」という新しいものに惹かれたぼくは、昼休みになると、学校の一角にある教会に行き、聖書を読み、キリスト教三昧な日々を送ったのです。
でも、そのうちだんだん疑問が湧いてきたんですよね。
キリスト教では、「神が万物を創った」という大前提があり、その上でいろいろな教えが展開されていくのです。
 
「神が万物を創った」ということは、誰が決めたんやろ?
「神が万物を創った」ことが正しいんか正しくないんか、どうやって検証したらええんや?
 
こんな風に思いはじめたもんだから、キリスト教に対する興味が急速に薄れていったのです。
 
ちょうどそんな時期、社会科の先生から夏休みの宿題が出されました。
以下の3冊の本を読んで感想文を書いてこいというものでした。
 
 
 
いずれも本格的な哲学書です。
今にして思うと、これを何の予備知識もない高校生に読めという先生……無茶振り具合がスバラシイです(笑)。
がんばって3冊読んだものの、難しくて内容はさっぱりわかりませんでした。
でも、わからないなりに、ワクワクしました。
 
哲学という思考法を駆使することで、キリスト教の大前提に抱いた疑問が解明できるんちゃうか。
既成の宗教観から逃れることで、自由な思考ができるようになるかもしれへん。
 
そう思ったぼくは、その後、わからないなりに哲学書を読み漁っていきました。
 
長くなりました。続きは次回。

哲学を使って、毎日の不満をちょっぴりハッピーに!

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Q1、夫のことが嫌いです。

秀一郎さん、こんにちは。
今日は私のことでご相談です。
私には長年連れ添った夫がおりますが、夫は若い頃から、わがままで思いやりのない性格でした。
結婚前はそんな性格の裏返しとして、男らしくて面白い人だと思っていたのですが、やはり実際に生活してみると違いますね…
夫は収入に合わない浪費をするタイプで、ギャンブルはしませんが、ゴルフ道具や服装、車などにお金を使ってしまいます。
その浪費分をカバーするためにパートに出ようと思ったのですが、夫は嫉妬心が強く、私が働くのを許してくれませんでした。
私は仕方なく、家計の足しに内職をしてきました。
内職である程度のお金にするために、夫と子供が寝静まった深夜にも仕事をしてきました。
私は自分で言うのもなんですが、手先が器用で仕事が早いので、普通のパートよりもたくさん稼いでいます。
友達からは『あんたはよく働くね』とよく言われます。
しかし夫は私のことを労う様子もなく、家事も子育ても私任せです。
そんな生活の中で、40歳を迎える頃には夫に対して嫌悪感でいっぱいになっていました。
現在、夫は定年退職して、毎日家でゴロゴロしています。
私はまだ内職を続けていますが、夫は相変わらず家事を手伝う素振りもなく、ゴロゴロしながら私に『お茶』『新聞』などと言いつけますし、食べ物の好き嫌いが多く、日々の食事への文句も絶えません。
夫に対しては諦めモードで接してきました。
夫と離婚して金銭的に困窮するのは嫌ですし、ゴタゴタと揉めたくないということ、また娘が実家暮らしをしていることもあり、このまま静かに生活をしていこうと思っていました。
ところが最近、夫の様子がおかしく、行動も不審なことが多々あります。
どうも浮気をしているようなのです。 
身の回りのことを私に全部やらせ、私の行動は制限し、好き勝手に女性と遊んでいる夫に対して怒りが収まりません。
とは言え、積極的に離婚する気にもなりません。
私はこの先、どのように心を保っていけばいいでしょうか。
長文になりましたが、秀一郎さん、うまく自分の心をなだめる考え方を教えてください。

               

おーちゃん(66才・主婦)

 

 

A:夫の生命与奪の権利は貴女の手に!

 

ということで、今回は66才の主婦・おーちゃんさんからのご相談です。

長年連れ添った夫婦の間にありがちと言ってしまえばそれまでなのですが、しかしおーちゃんさんにとっては、毎日夫が家でゴロゴロし、仕事をしている妻をねぎらいもせずに用を言いつけ、挙句に浮気に及ぶという、文字で書き連ねただけでも忿懣やるかたない状況とご推察いたします。

さて、ドイツの哲学者ヘーゲルは、人間の精神は常に発展していくものとして、弁証法という運動法則を唱えました。
自分と、自分を否定する者が存在し、お互いに対立し、排斥し合う。
この一連の運動により、自分がより高められ、発展していくという考え方です。
夫婦とはまさに、この運動法則を具現化する最適なモデルだと言えますまいか。
貴女と対立し、排斥しようとする夫。
それ自体は憎らしい、鬱陶しい存在です。
しかし、貴女はその夫により、心身ともに磨かれ、今日に至っています。
家事と子育てを一手に担い、寝る間を惜しんで家計のために働いてきた貴女。
何不自由なく過ごしてきた女性とは違い、仕事のスキルや強い精神力が得られたはずです。
貴女にもこれまで家庭のために必死にがんばってきたという自負と自信が備わっていることでしょう。
それが今の貴女を輝かせています。
つまり、夫の排斥あったからこそ、現在の貴女が存在しているわけです。


一方、夫側を弁証法で見てみましょう。
夫は貴女からほとんど排斥は受けていません。
自分の言いつけを守り、家にいながらお金を稼いで浪費を許してくれ、おかずも好きなものばかり作ってくれる……とても満たされて恵まれています。
しかし裏を返せば、夫は排斥を受けなかったことで、家事能力ゼロの、会社以外では何の役にも立たない人間として歳を重ねました。全く発展しなかったのです。
夫は貴女なしでは3日と生きていけません。
おそらく、そのわがままぶりから、他の女も早晩逃げ出すことでしょう。
貴女がダメ男にカスタマイズしたわけですから、他の女では手に余ることは目に見えています。
夫の生命与奪の権利は貴女が握っていると言っても過言ではありません。
『あなたを生かすも殺すも私次第』
そう思って暮らせば、少しは溜飲が下がるのではないでしょうか。



今日のポイント:ヘーゲル弁証法