哲学オタク・秀一郎の人生相談室

ナニワの哲学オタクが、哲学を生かして、あなたのお悩みに回答します!

ぼくが人生相談をしようと思った理由(2)

投獄を覚悟した大学時代
生徒と向き合った教員時代
いつも哲学が一緒にいてくれた

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そしてぼくは大学生になり、学生運動にのめりこんでいきました。
当時は、マルクス哲学の全盛期で、マルクス社会主義革命思想に影響を受けた日本中の学生が、社会改革を目指して活動に明け暮れていたのです。
学生運動は、逮捕され、刑務所に行くことも覚悟していなければなりません。
 
自分の価値観をしっかりと構築しないことには、投獄されるリスクを冒してまで活動することはできません。
 
ぼくたちは仲間の家に集まって、哲学書の読み合わせ会をすることがしばしばでした。
大学院生の先輩がレクチャーしてくれることもありました。
哲学書を懸命に解釈することで、自分を支える精神的指針を作り出そうと、皆必死だったのを覚えています。
また同時に、社会改革以外の、「死とは何か」「時間とは何か」という人間の永遠のテーマともいうべき事柄へも興味が向いていきました。
 
余談ですが、ぼくの大学時代、実存主義哲学で一世を風靡したフランスの哲学者・サルトルが来日。
サルトルはスター的存在だったので、日本中が熱狂し、大変な騒ぎでした。
現在のハリウッドスターの来日よりも大きな話題でした。
哲学者にファンが群がる時代だったんですよ。
 
大学を卒業して、女子校の社会科教師になってからも、東京の哲学の講座に毎週末新幹線で通ったり、関東在住の哲学の先生のお宅を訪ねたり、地元の大学の夜間部の授業を聴講したりと、哲学の勉強を続けてきました。
 
職場である女子校では、日々生徒たちの様々な問題に直面します。
いつもその時その時、夢中で体当たりで生徒たちと向き合ってきました。
教師になって十数年経った頃、ある生徒に
「秀一郎先生は、他の先生と違うなあ」
と言われました。
「何が違うんや?」
「秀一郎先生だけは、うちのこと、先入観で判断せんと、そのままを見てくれてる」
その言葉はとてもうれしかったのと同時に、ぼくにある気づきをくれました。
ぼくは何事も、世間の噂とか評判などを排除して、まっさらな状態で受け入れるように努力しています。
でもそれは、ぼくの性格がいいからとか、純粋だからとかいうことではなく、長年哲学と親しみ、哲学から思考の手法を学んだからにほかなりません。
 
哲学では、思考のプロセスにおいて、先入観とか思い込みなどで余計な情報を持ち込むことは厳禁です。
情報を持ち込むことによって、思考の結果が変わってしまうからです。
人類の普遍的な真理を探究する学問である哲学において、思考結果を歪める危険性のある「余計な情報」は排除しなければなりません。
高校時代のぼくが疑問を抱いた「神が万物を創った」という前提もそれに当たります。
前提ありきの思考で導き出された結果では、真理に到達することはできないでしょう。
 
長くなりました。続きはまた次回に。